第1章 いつこの備忘録「Royal School」──幼い王族たちが過ごした寄宿生活

Liliʻuokalani(リリウオカラニ)をはじめ、王位継承資格を持つ王族姉弟たちが通った寄宿学校。当時の記録を見るたびに、彼女がわずか4歳で寄宿生活に入れられたことに胸が痛みます。まだ幼い子どもに対して、あまりにも酷ではなかったのか…そう思わずにいられません。

「初めて学校に行った日、わたくしは Kaikai(カイカイ)という大柄な女性の肩に担がれておりました。彼女は Governor Kanoa(カノア知事)の妹で、やや低い身分ながら名のある家系でございます。
学校の入口で降ろされた時、わたくしは恐ろしくて泣き、Kaikai にしがみつきましたが、子供たちが集まってきてくれたおかげで次第に落ち着き、すぐに友だちと打ち解けました。」
(本文より)

私は最初に「Royal School は Punahou School(プナホウスクール)と同じ?」と思って調べてみましたが、まったく別の学校でした。

1839年、Kamehameha III(カメハメハ3世/Kauikeaouli)が、ハワイの将来の指導者を育てるためにホノルルに設立したのが Chiefs' Children’s School。1837年に到着した宣教師団「第8次派遣隊」に属していた Amos と Juliette Montague Cooke 夫妻がこの教育事業を任され、年間500ドルが支払われていました。(注1)

当時の校舎は、現在の ʻIolani Palace(イオラニ宮殿)敷地内にある ʻIolani Barracks(イオラニ兵舎)に置かれていたそうです。(注2)

後に場所を移し、現在は1846年創立の公立小学校として「Royal School」という名で続いています。(注3)


ここでふと思い出した出来事があります。2023年、地元の方の車で Mānoa(マノア)へ向かう途中、Queen Emma Street(クィーン・エマストリート)を走っていた時、右側に見えた学校を指さしながら「ここは昔、王族の小学校だったのよ」と教えていただきました。そのときは深く考えていなかったのですが、Google Maps で確認しているうちに、あの時の車窓の風景が突然よみがえったのです。彼女が話してくれた「この一帯は王族の土地。多くの高貴なマナが今も満ちていて、とても力の強い土地なのよ」という言葉も一緒に。。。

さて、Chiefs' Children’s School の特徴は、王族の子どもたちを一つの場所に集め、「統治のための共通の価値観」を教育することでした。そのため寄宿制とされ、アメリカ人宣教師夫妻の完全管理下に置かれました。カリキュラム、食事、生活、規律、言語教育、キリスト教…そのすべてが西洋式に統一され、幼い王族たちは日々、厳しい環境で過ごしていました。

「家庭的な雰囲気があり、特に英語の正しい使い方には厳しく教育されましたが、空腹で眠りについた夜も多くございました。夕食は糖蜜をかけたパン一切れだけで、料理人に食べ物をねだったり、手の届く物をこっそり取ったりしたこともございます。最後には庭の根菜や葉を探し、棒で火を起こし、隠れて調理して食べるほどでした。」(本文より)

厳しい戒律の宗派の宣教師が、高給を得る。(当時の500ドルは大金です)
その一方で、将来のハワイを背負う幼い子どもたち(王族の子弟ですよ!)は飢えていた。
この構図を見て「これどうよ?」と私は憤りを感じます。

教育というより、価値観や行動を根本から作り替える「徹底した西洋化」だったのでは、と感じずにはいられません。今の感覚で言えば、ほとんど“洗脳”と言われても仕方がないほどです。

そして興味深いのは、その後の 宣教師Cooke 氏の歩みです。ほとんどの学生が卒業した後、彼は学校を辞め、ハワイの重要企業 Castle & Cooke を共同設立。のちにハワイ経済を支配する「ビッグファイブ」の一つとなりました。(注1の部分にも言及あり)

Castle & Cooke
ビッグファイブ

「Mr. Cooke(クック氏)は Mr. Castle(キャッスル氏)と商業活動を始め、Castle & Cooke(キャッスル&クック)を設立しました。この会社は現在では大きな企業となり、その後継者によって続けられております。」(本文より)

禁欲を説きながら豊かな報酬を受け取り、その後は実業家として成功を収める。
王族の子どもたちは空腹に耐えながら、西洋式の価値観・宗教観を徹底的に叩き込まれる。

この二つを並べてみると、どうしても「教育」の名を借りて、王族が持っていた主導権が気づかないうちに宣教師側へ移っていったのではないか、と感じてしまいます。宣教師の子孫たちがハワイの政治・経済の中枢を担っていく流れを考えると、この学校が果たした役割の大きさを痛感します。

幼い頃から家族と引き離され、厳しい寄宿生活を強いられた王族の子どもたち。Royal School の歴史を知れば知るほど、リリウオカラニが背負ったものの重さ、そしてハワイ王国が辿っていく運命の一端が見えてきます。

Royal Schoolを調べ始めたのに、最後は宣教師に対する愚痴になってしまいました。

※この備忘録は、調べた内容に加えて「いつこ」の私見が多く含まれており、特定の個人・団体を誹謗中傷する意図は一切ありません。あくまでも「いつこ」の視点から感じた疑問や考察を記録したものです。また、私的な備忘録のため、誤りが含まれている可能性もあります。より詳しい情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると大変嬉しいです。そして、感想などございましたらコメントいただけると……泣いて喜びます。

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