第3章 Kamehameha IV(カメハメハ四世)1/2

Alexander Liholiho(アレクサンダー・リホリホ)、すなわち歴史上 Kamehameha IV(カメハメハ4世)として知られる人物は、その民族特有の気質をすべて備えておりました。
そして、カメハメハ家に見られる強く情熱的な性質は、彼の称賛すべき行いにおいても、必ずしも褒められない行いにおいても、はっきりと示されております。
Anglican Mission(英国国教会宣教団)をハワイにもたらした功績は、まさしく彼のものでございました。
また、English Prayer-Book(英語祈祷書)を我が国の言語へと自ら翻訳したのも彼でございます。
すでに述べましたように、Queen’s Hospital(クイーンズ・ホスピタル)を創設したのも彼であり、
その治世においては、政府の外交・内政のいずれもが有能に運営されておりました。
Hon. R. C. Wylie(R. C. ワイリー卿)は、彼の治世全期間を通じて外務大臣(Minister of Foreign Affairs)の職を務め続けておりました。
1859年、わたくしが Mr. Dominis(ドミニス)と婚約するより前の頃、Honolulu(ホノルル)において、他島への巡遊という楽しい旅の一行が組まれ、わたくしも参加いたしました。
当時、わたくしはいつものとおり Mrs. Bishop(ビショップ夫人)の特別な保護のもとにおりました。一行は Hawaiʻi(ハワイ島)の火山を訪れ、その後 Hilo(ヒロ)の町へと下りました。美しい湾には United States ship Levant(米国艦レバント)が停泊しており、まもなく国王と随行の方々もわたしたちに合流されました。
艦の士官の中には親しい者が多く、わたしたちは社交の喜びのうちに日々を過ごしました。わたしたちは広い草葺きの家に滞在し、一方の側には女性、反対側には男性が寝起きし、中央の広間は宴会や踊りの場として使われ、また両側を隔てることで互いの会話が聞こえぬほど離れておりました。王族の方々が片方からもう片方へ移動される際には、現地の人々が人力で曳く特製の車に乗せられました。時には泥の穴や水の流れに車がはまり、献身的な従者たちの努力でも抜け出せないことがございました。その際は馬を車の横に連れてこさせ、その背に乗り換えるのでございました。
しかしながら、わたしたちは軽やかで明るく幸福であり、士官たちはまことの紳士で、心からの丁重なもてなしをしてくださいました。国王もまた、そのご身分と王族の方々の存在が旅に特別な輝きを添えることを心から楽しんでおられました。
ある時、わたしたちが Levant(レバント)の友人たちに別れの挨拶をしようとした折、国王はいたずら心を見せ、突然の合図を送って Kilauea(キラウエア)号にすぐ乗船するよう命じられ、船は艦長への一言の断りさえなく出航してしまいました。
Lahaina(ラハイナ)に到着すると一行は船を降り、そこで国王の友人や従者がさらに合流し、旅は一層にぎやかになっていきました。
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