第2章 いつこの備忘録 血統

Alexander Liholiho(アレクサンダー・リホリホ/カメハメハ4世)

1834–1863 29歳没 20歳で即位(1855.01.11)

Emma Kalanikaumakaʻamano Kaleleonālani Naʻea Rooke(エマ・ルーク)

1836–1885 49歳没

結婚:1856年

1855年、Alexander Liholiho(アレクサンダー王)と Emma Rooke(エマ・ルーク)の婚約が発表されました。

当時の記録には次のようにあります。

「家系の血筋を重んじる者たちは国王に「結婚を思いとどまるべきである」と進言し、その理由として「陛下と並び得る身分の者は、Paki(パキ)の養女である彼女だけです」と述べたのでございます。これを聞いた Alexander(アレクサンダー王)は強くお怒りになり、その者たちを退けられました。」(本文より)

Alexander Liholiho は カメハメハ1世の直系。

一方、Emma も カメハメハ1世の兄弟の系統に連なる高貴な血筋です。それにもかかわらず、なぜ Emma との結婚に反対意見が出たのでしょうか。

その背景には、Emma の祖父がカメハメハ大王の側近であったイングランド人 John Young(ジョン・ヤング)であることが深く関係しています。

Emma は **イギリス人とハワイ人の混血(Hapa Haole)**であり、カメハメハ系の王族でありながら「純血ではない」と見なされてしまいました。

そのため、たとえ カラカウア系列ではあっても、より純血に近い Lydia Liliʻu(後のリリウオカラニ女王) の名前が候補として挙がったのだろうと考えられます。

1856年6月Alexander Liholiho(アレクサンダー王)と Emma Rooke(エマ・ルーク)は結婚します。

この時代の適齢期の王族の若者たち

カメハメハ王朝系

  • Prince Lot Kapuāiwa(ロット王/後のカメハメハ5世)
  • Princess Victoria Kamāmalu(ヴィクトリア王女/カメハメハ4世・5世の妹)

カラカウア王朝系

  • Prince William Charles Lunalilo(ルナリロ王)
  • Prince David Kalākaua(後のカラーカウア王)
  • Princess Lydia Liliʻuokalani(後のリリウオカラニ女王)

彼らは皆、ハワイ王国の未来を背負う存在として育てられ、婚姻も政治・血統・家系の均衡を重視して慎重に選ばれていました。

※この備忘録は、調べた内容に加えて「いつこ」の私見が多く含まれており、特定の個人・団体を誹謗中傷する意図は一切ありません。あくまでも「いつこ」の視点から感じた疑問や考察を記録したものです。また、私的な備忘録のため、誤りが含まれている可能性もあります。より詳しい情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると大変嬉しいです。そして、感想などございましたら最下段のコメント欄へコメントいただけると……泣いて喜びます。

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