第2章 私の青春時代のいくつかの出来事 1/2

わたくしは学ぶことが大好きな少女でございました。
知識を身につけることへの情熱は生涯変わることなく、今もなおその魅力を失っておりません。
この点で、わたくしは姉の Bernice Pauahi(バーニス・パウアヒ)とはまるで異なりました。
姉は実に美しく、その頃の姿は決して記憶から消えることがなく、まるで鮮明な絵画の一場面のように心に刻まれております。
姉は18歳で結婚いたしました。本来は Kamehameha the Great(カメハメハ大王)の孫である Prince Lot(ロット王子)と婚約しておりましたが、Mr. Charles R. Bishop(チャールズ・ビショップ氏)が熱心に求婚し、姉は彼を選んで結ばれたのでございます。
それは幸せな結婚でございました。
新婚の二人はまず Nuuanu(ヌウアヌ)谷の奥に質素な家庭を構え、その後 Alakea(アラケア)通りの小さな家で暮らし始めました。
その頃わたくしは Paki(パキ)と Konia(コニア)のもとにおり、現在 Arlington Hotel(アーリントン・ホテル)として知られる建物がちょうど建設中でございました。
この家は1851年に完成し、Paki(パキ)が1855年に亡くなるまで住まわれ、のちには姉夫婦が移住し、わたくしもそこで暮らしました。
この家で過ごした少女の日々、そして度々開かれた楽しい集まりは、今なお鮮やかな思い出でございます。
Mr. Bishop(ビショップ氏)は人望が厚く、あたたかく客を迎える方で、姉は美しさと同じほど優しい心の持ち主でございました。
Kamehameha 4(カメハメハ4世)であった Alexander Liholiho(アレクサンダー・リホリホ)も友人を伴い、気軽に家を訪れました。
即席の踊りの会が自然と始まり、楽しんでいると聞けば客は次々と集まり、ときには別の友人宅へ移り夜遅くまで賑わったものでございます。
ちょうどこの頃、のちにわたくしの夫となる John O. Dominis(ジョン・オー・ドミニス)がわたくしに特別な関心を寄せるようになり、わたくしもまた彼に心を向け始めました。
わたしたちは学校時代、家が近く、顔を合わせることはあったものの、特別な思いが芽生えたのはこの頃でございます。
Mr. Cooke(クック氏)の家の隣には、年配の Johnston(ジョンストン)夫妻が子どものために学校を開いており、敷地は高い日干し煉瓦の塀でわたくしたちの家と隔てられておりました。
男の子たちは塀に登り、王族の子どもたちをのぞこうとし、その中に John O. Dominis(ジョン・ドミニス)もいたのでございます。
彼の父は船乗りで、Cape Horn(ケープ・ホーン)まわりの航海で Honolulu(ホノルル)に来た後、中国や California(カリフォルニア)で貿易に携わっていました。
家系は Italy(イタリア)に由来し、母は Boston(ボストン)生まれの女性で初期移住民の子孫でございました。
家族の住まいとして建てたのが Washington Place(ワシントン・プレイス)で、後に重要な場所となってまいります。
しかし Dominis(ドミニス)氏は、わたくしの最初の求婚者ではございませんでした。
わたくしの家柄や立場から、わたくしとの縁を望む者は多く、この件について詳しく述べることは必要ではないでしょう。
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