第2章いつこの備忘録 PauahiとNYから来た「騎士」

Bernice Pauahi 1831-1884 享年52歳

Charles Reed Bishop 1822-1915 享年93歳

1850年pauahi 18 で結婚。

Liliʻuokalani(リリウオカラニ)の Hānai sister(ハーナイ・シスター) として登場する Bernice Pauahi Pākī(バーニス・パウアヒ・パキ)。彼女は Kamehameha I(カメハメハ大王)の曾孫にあたる高貴な血筋の女性 です。ハワイでは古来より Aliʻi(アリイ/高貴な階級)の間で、子ども同士を婚約させることが一般的で、時には出生前に決められることさえありました。これは、王家の系譜を純血に保つこと、政治的同盟や家同士の結びつきを強めるために行われていました。そうした環境で育った王族の子どもたちには、平民が持つような「自分で結婚相手を選ぶ自由」はほとんどなかったのです。

Pauahi の Hānai 母である Kīnaʻu(キナウ)は、娘を実子である Prince Lot(プリンス・ロット/後の Kamehameha V)と結婚させるつもりで、幼い頃からそのように言い聞かせていました。しかし、Pauahi は NY の Sandy Hill(サンディ・ヒル)という小さな町で商店員をしていた若者、Charles Reed Bishop(チャールズ・リード・ビショップ)と恋に落ちます。ビショップは若者らしく広い世界を求めてハワイへ渡り、そこで最も高貴な血筋を持つ Pauahi と出会い、強く惹かれていったのでした。

リリウオカラニも回想録の中でこう述べています。
「姉は18歳で結婚いたしました。本来は Kamehameha the Great(カメハメハ大王)の孫である Prince Lot(ロット王子・後のカメハメハ5世)と婚約しておりましたが、Mr. Charles R. Bishop(チャールズ・ビショップ氏)が熱心に求婚し、姉は彼を選んで結ばれたのでございます。それは幸せな結婚でございました。」(本文より)

たったこれだけの文章では伝わらないほど、Pauahi の結婚は 当時の社会全体を巻き込む大反対 を受けました。ハワイ王族の血を引く最高位の女性が、Haole(ハオレ/白人)の一般市民と結婚するなど、考えられなかったからです。

それでも Pauahi と Charles は互いの意思を貫き、二人を理解した数少ない味方――Amos Cooke & Juliette Cooke(アモス&ジュリエット・クック)夫妻(そう、あの年間500ドルのクック先生夫妻です!)のもとで、静かで小さな式を挙げました。

1850年6月4日、火曜日の夜。場所は Royal School(ロイヤル・スクール)の小さなサロン。式を執り行ったのは Reverend Richard Armstrong(リチャード・アームストロング牧師)。参列したのはほんの数名の宣教師、そして学友の Elizabeth Kekaaniau(エリザベス・ケカアニアウ)らのみという、とても慎ましい式でした。後年エリザベスは、「Pauahi は白いモスリンのドレスにジャスミンの花冠をつけていた」と美しい思い出として語っています。(書籍『Pauahi』より適時抜粋)

結婚当時 Pauahi はわずか18歳。
彼女について調べ始めると、次々と書籍・史料に行きつき、当時の空気、緊張、王族社会の価値観が生々しく伝わってきます。高貴な血筋を持つ Pauahi が、周囲の激しい反対を押し切って Charles と結ばれたことの波紋は、ここではとても書き切れません。

※この備忘録は、調べた内容に加えて「いつこ」の私見が多く含まれており、特定の個人・団体を誹謗中傷する意図は一切ありません。あくまでも「いつこ」の視点から感じた疑問や考察を記録したものです。また、私的な備忘録のため、誤りが含まれている可能性もあります。より詳しい情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると大変嬉しいです。そして、感想などございましたらコメントいただけると……泣いて喜びます。

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