第1章いつこの備忘録Queen Kapiʻolani

Queen Kapiʻolaniについて。これは調べたことに加えて私見が多く含まれており、特定の個人・団体を誹謗中傷する意図は全くありません。あくまでも筆者の私見です。

リリウオカラニが「大伯母の Queen Kapiʻolani」と書いている人物は、カラカウア王の妻とは別人です。時代も異なり、名前は同じでも別の High Chiefess Kapiʻolani (c. 1781–1841)のことを指しています。

では、その方は誰なのか。

ハワイ王国成立初期の時代を生きた人物で、ハワイ貴族(Aliʻi)の重要な一員でした。読み書きを身につけた最初期のハワイアンの一人とも言われています。彼女は非常にリベラルな人物であったようです。(当時の王族は、外国勢力と渡り合うにはリベラルにならざるを得なかった面もあったと思われます)。

1824年、彼女は(私からすれば)とんでもなく「バチ当たり」に映る行為を行います。

ペレが住むとされる Hale Maʻumaʻu まで下り、ハワイ固有種である ʻōhelo berries(オヘロベリー)を、ペレへの供物も捧げず、Oli も唱えずに食べてしまい、そこでキリスト教の祈りを捧げたのです

この出来事はHawai'i Volcanoes & Haleakala National Parksに記載されています。

そしてその行為は詩人 Alfred Lord Tennyson(アルフレッド・ロード・テニスン) によって、「Kapiolani(カピオラニ)」という詩にまとめられ、不朽の作品となりました。

“Island heroine, Kapiolani, Clomb the mountain, and flung the berries,And dared the Goddess, and freed the people of Hawaii!”

(島の女勇者カピオラニは、山を登り、実を投げ与え、女神に挑み、ハワイの民を解放した!)

これは、古代ハワイの偶像崇拝と厳格な禁忌体系である kapu 制度が廃止されてから約5年後に起こった出来事です。そこには “長く人々を抑圧してきた kapu からの解放” という文脈が記されています。

しかし、この見解は必ずしもハワイ側の視点ではなく、改宗によって勢力拡大や政治的利益を得たい外国側から見た評価でもあります。当時の様子を描いた挿絵などもありますが、ギリシャ神話の女神のような西洋的な容姿で描かれており、バイアスが垣間見えます。

なお、1820年代にハワイへ来たアメリカ宣教師団の宗派は、プロテスタント系の “会衆派(Congregational Church)” でした。アメリカ本土でも “禁欲的で厳格な宗派” として知られ、道徳規範が非常に厳しく、理性や教育を重視し、信徒の生活スタイルにまで踏み込む教えだったとされています。

The Hawaiian Mission Houses Digital Collections には Nāihe(ナイエ/夫)と Kapiʻolani が 1826年11月20日に書いた手紙が保管されています。

そこには Loomis(ルーミス)家族および当時ハワイ全島にいたアメリカ宣教師団への感謝や想いが記されており、二人がキリスト教に献身したこと、改宗した理由なども述べられています。直筆の手紙も公開されていますが、利用には許可が必要なためリンクは控えます。

ハワイ王族の多くがキリスト教に改宗した背景には、教育・西洋式の読み書きの習得・外交上の必要性といった現実的な事情もあったはずです。

同時に 宗派の厳しさに戸惑いもあったのではないでしょうか。何故なら、当時のハワイ社会には、フラ(儀礼を含む)、音楽、祝宴、アリイを中心とした社会構造や豊かな儀式文化があり、大らかで伸びやかな精神性が息づいていたからです。

それは現在多くの人々を魅了し、愛されるハワイ文化でもあります。

そこに突然、「踊ってはダメ」「酒はダメ」「贅沢はダメ」「肌の露出はダメ」「礼拝以外の行事もダメ」と禁欲主義が押し寄せたら…息が詰まるのも当然です。

昭和の中学生ならバイク盗んで走り回り、校舎のガラスを割って尾崎豊を熱唱したくなるんじゃないでしょうか。(知らんけど)

後に Kamehameha IV(カメハメハ4世)は、アメリカ滞在中に深刻な人種差別を経験しました。その後、英国国教会(Anglican Church)をハワイに招き、自ら入信しました。あくまでも想像ですが、これも会衆派の厳しすぎる戒律が影響したのかもしれません。

この点についても、これからさらに調べてみようと思います。

ちなみに Kapiʻolaniが食べた ʻōhelo berries(オヘロベリー)は、熟すと酸味があって美味しいといわれています。

宣教師たちが見守る中で Kapiʻolani が kapu を破ってその実を口にした時、彼女はペレの怒りを恐ろしく感じなかったのでしょうか。

あの瞬間、もしペレが本当に怒りを示すのであれば、その身を焼き尽くされてもおかしくないと人々は思っていたはずです。しかし、結果として何も起こらなかった。そうして「迷信だったのだ」と語られたのでしょう。

こうした象徴的な出来事が積み重なり、ハワイ王国はやがて大きく姿を変え、最終的には失われていくことになります。

歴史というものは、どちらの視点から眺めるかによって、善悪の評価がまったく変わってしまうものです。同じ出来事であっても、当事者の立場や時代背景、価値観が異なれば、まったく別の物語として語られます。

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