第3章 備忘録‐②カメハメハ4世の功績

オアフ島ハワイ州政府事務所の近く、パンチボールストリート沿いのザ・クイーンズ医療センター。ホノルルのダウンタウンにあるこの大病院の設立に尽力したのがカメハメハ4世夫妻です。そしてこの病院設立以前、ここはカラカウア王とリリウオカラニ女王が産まれた場所でもあります。(きっと王族たちのマナに満ちた土地なのでしょうね。)
カメハメハ4世はハワイ国民の健康を懸念していました。ハワイ諸島各地を視察された時、多くの廃村と無人の学校、教会の存在に心を痛めたそうです。
1823年
ハワイ人の人口・・・143,000人
1855年
ハワイ人の人口・・・ 73,000人
上記のように約30年で人口は約50%減少。(だから、の、移民政策につながるんですね。。)
原因は、ハワイ女性は出産回数が少ない事に加え、出産誕生直後あるいは数カ月のうちに赤子を失うことが多かった。
それに加え、外来病に耐性が無いハワイアンはハンセン病、天然痘、性病に感染し命を落としていました。(それは王族も同じ、、)
国王夫妻は民を助ける為に病院建設を決意しましたが、資金不足だったため、国王夫妻自ら外国人やハワイ国民の元に支援を求め、個別訪問し寄付を募りました。金銭がない人は漁網やネックレス、槍などを寄付。それを売却換金。国王夫妻はそれぞれ500ドルを寄付。1ヶ月強で目標を上回り、13,530ドルを調達。政府から6,000ドル追加して建設計画はQueen's Hospital Corporation(クイーンズ・ホスピタル法人)として組織化しました。
建設計画地はリリウオカラニの父から購入、1860年12月に開院したQueen's Hospital はハワイの人々から「Hale Maʻi o Kawahine Aliʻi(ハレ・マイ・オ・カヴァヒネ・アリイ/高貴な女性の病の家)と呼ばれました。当時は二階建ての珊瑚色のこじんまりした建物でなんと、ハワイの人々は無料で医師の診察を受けることができたそうです。
(リリウの物語は章ごとに時系列が前後するので備忘としてカメハメハ4世のタイムラインを書いてみました。)
Alexander Liholiho
1834 0209誕生
1840 06歳Chiefs' Children's School
1848 14歳Chiefs' Children's Schoolを去る。
1849 15歳公式の政府使節として、アメリカ合衆国、ヨーロッパの各国首都
1850 0909帰国
1854 20歳で即位 カメハメハ4世
1856 0619 Emmaと結婚 Kawaiahaʻo Churchにて
1858 0520 Prince Albert誕生
1859 09 Henry Neilson発砲事件
1862 02 Henry Neilson他界
1862 0827 Prince Albert他界4歳
1862 10 Thomas Nettleship Staley司教がイギリスより到着国。王夫妻は英国国教会に入信
1863 1130 Alexander Liholiho逝去
出典元
書籍:Kamehameha IV: Alexander Liholiho(KAMEHAMEHA SCHOOLS BERNICE PAUAHInnBISHOP ESTATE)
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