第4章 わたくしの結婚生活2/2

結婚後まもなく、Prince Lot(ロット王子)から夫婦で Hawaiʻi(ハワイ島)へ同行するよう招待を受けました。
Mr. and Mrs. Robert Davis(ロバート・デイヴィス夫妻)も同時期に結婚しており、共に招かれましたので、これがわたくしの新婚旅行ともなりました。
Prince Lot(ロット王子)の王位即位は目前でございました。
同行者には Mr. and Mrs. John Sumner(ジョン・サムナー夫妻)、Haalelea(ハアレレア)氏をはじめ、王家に近い方々が加わりました。
旅は長期間に及びましたが、どの日も楽しく、心から満ち足りたものでございました。
当時の島々には宿屋がなく、高位の首長たちはどこへ赴いても人々が彼らをもてなす慣習がございました。
わたくしは常に申しますが、昔のハワイでは首長にも民にも食べ物が十分にあり、民は金銭による負担や税に苦しむことはありませんでした。
首長は監督役を任じ、民の生活を守り、民はまた首長の食卓を支えました。
それは大きな家族のように互いに助け合う生活の仕組みでございました。
Prince Lot(ロット王子)は Hawaiʻi(ハワイ島)ほか、いくつも土地と邸宅を持っておりました。
わたくしたちはその邸宅を訪れましたが、人々は心から歓迎し、滞在がどれほど長引いても、ハワイの温かいもてなしが尽きることはございませんでした。
この伝統は外国人の影響が強まった現在でも完全には失われておらず、今なお首長の血を引く者、例えばわたくしが Hawaiʻi を訪れれば、Hilo(ヒロ)に着いたと知られるや否や家が用意され、食事が届けられ、滞在の間は心尽くしの歓迎を受けるのでございます。
1862年の Hilo(ヒロ)滞在中に、のちに重要な出来事へつながる最初の章が始まりました。
Princess Ruth(ルース王女)の従者のひとりが同行しており、王女は出産を間近に控えておりました。
Oʻahu(オアフ島)へ戻る Kalaikuaiwa(カライクアイワ)が Prince Lot(ロット王子)に「Honolulu(ホノルル)の Princess Ruth(ルース王女)へどのような伝言をすべきか」と尋ねました。
Prince Lot(ロット王子)は、
「決してその子を誰にも与えてはならないと、必ず伝えるように」
と念を押しました。
しかし従者は「すでに Mrs. Pauahi Bishop(バウアヒ・ビショップ夫人)に約束されております」と答えました。
Prince Lot(ロット王子)はさらに強い調子で、
「何としても、子を他へ渡してはならぬと伝えるのだ」
と繰り返されました。
彼は自分自身が養子として育ち、実母の愛から遠ざけられた経験を持っていたためでございます。
そう申し上げたのみで、それ以上の説明はされませんでした。
わたくしたちが Hawaiʻi の巡りを終えた頃、Princess Ruth(ルース王女)の出産が近いとの知らせが届きました。
Honolulu(ホノルル)に戻った翌日、Prince Lot(ロット王子)、Queen Emma(エマ王妃)、Mrs. Bishop(ビショップ夫人)らが王女の出産に立ち会うよう招かれました。
子は Halaniani(ハラニアニ)と呼ばれる家で午後3時頃に誕生し、Prince Lot(ロット王子)は母子の知らせを長い時間待っておりました。
しかし5時半頃、Queen Emma(エマ王妃)が現れ、
「生まれた子はもう1時間以上前に Mrs. Bishop(ビショップ夫人)が自分の子として連れて行きました」
と告げました。
Prince Lot(ロット王子)は大変不快に思われ、
「その子には二度と関わらない」
と宣言し、早速行動に移しました。
彼は Princess Ruth(ルース王女)に、わたくしの兄 William Pitt Leleiohoku(ウィリアム・ピット・レレイオフク)を正式に養子とするよう求めました。
そして二通の書類を作成し、一通は「自身の子を Mrs. Bishop(ビショップ夫人)へ irrevocable(取り返しがつかない形)で譲る」もの、もう一通は「Princess Ruth(ルース王女)がわたくしの兄を養子とする」ものでございました。
こうして兄は正式に王族の跡継ぎと認められる身となり、のちには摂政を務めました。
一方、Mrs. Bishop(ビショップ夫人)に引き取られた子 Keolaokalani(ケオラオカラニ)は、生後6か月ほどで亡くなりました。
Hawaiʻi の巡りを終えた Prince Lot(ロット王子)一行は Maui(マウイ)へ移りましたが、間もなく兄 Alexander(アレクサンダー王)が重体である知らせが届き、Prince Lot(ロット王子)は急ぎ Honolulu(ホノルル)へ戻りました。
そして1863年11月30日、Kamehameha 4(カメハメハ4世)は29歳の若さで崩御されました。
Queen Emma(エマ王妃)はかつて王位候補となりましたが、その後は公的な場に立つことはございませんでした。
1865年に外国を訪問し、英国では王族にふさわしい待遇で迎えられました。翌年には United States ship Vanderbilt(ヴァンダービルト号)で Honolulu へ戻りましたが、すぐに養母 Mrs. Rooke(ルーク夫人)の訃報に接しました。
Prince Lot(ロット王子)が Kamehameha 5(カメハメハ5世)として即位すると、夫はすぐに王の私的秘書兼信任顧問に任命されました。
王は身近な人々に囲まれておられましたが、公的な重要事項については夫を最も信頼し、相談されておりました。
夫は Honolulu のある島の総督に任命され、その任期は4年とされていましたが、生涯にわたり一度も議論されることなく継続されました。
年に1度の島内巡察は妻であるわたくしも常に同行し、楽しい旅でございました。
また夫は Maui(マウイ)の総督、王有地管理委員、1874年の reciprocity(互恵条約)交渉でわたくしの兄 King Kalakaua(カラカウア王)に随行したり、1887年には王国使節団の一員として英国の女王祝典に参列するなど、多くの重職を務めました。
しかし1891年の秋、夫 Governor Dominis(ドミニス総督)は健康が急速に衰え、わたくしが即位してから7か月後の8月27日、亡くなりました。
夫の遺体は宮殿に安置され、9月6日の日曜日に王礼をもって埋葬されました。
夫を失った時期は、わたくしが最も彼の助言と寄り添いを必要としていた時でございました。
長い経験、温厚な人柄、そして広く愛された人物であった夫に代わる者など、この世におりません。
わたくしは折に触れ、
「国の統べる御方が、まさにわたくしがその助けを最も必要とした時に、夫を天へ召された」
と深く感じております。
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