第6章 カメハメハ5世

1872年12月の初め、王位に就かれた後も人々からは Prince Lotと呼ばれていたKamehameha V(カメハメハ5世)が、ついに崩御される時を迎えました。

12月10日、わたくしと夫は、臨終の国王にお付き添いするよう宮殿へ突然召されました。
その後、ハワイの高位首長たちが一人、また一人と到着し、親しい従者の数名も国王の最期に立ち会うため静かに加わりました。
わたくしたちはその夜、国王の寝台のそばで沈黙を守りながら見守り続けました。
医師たちの診断によれば、病状は胸部の水腫とのことでございました。

翌朝9時、わたくしたちは国王の寝台を取り囲むよう、小さな円をつくって立ちました。
この厳粛な場で否応なく考えざるを得なかったのが、王位の後継者を誰とするかという問題でした。
憲法により、継承者の指名は国王の権限とされていたためでございます。

その場に集まっていた女性の継承候補は、Princess Ruth(ルース王女)、Mrs. Pauahi Bishop(パウアヒ・ビショップ夫人)、Mrs. Fanny Young(ファニー・ヤング夫人。Queen Emma の母)、そしてわたくしの4名でした。

部屋の扉のところには、Prince William Lunalilo(プリンス・ウィリアム・ルナリロ)と、わたくしの兄 David Kalakaua(デイヴィッド・カラカウア)が控えておりました。
彼らもまた王位の有力候補であり、その後方には従者たちが静かに待機していました。

室内では、Attorney General Stephen H. Phillips(スティーブン・フィリップス)、Hon. Nahaolelua(ナハオレルア。後にわたくしの兄の閣僚となる人物)、わたくしの夫 General Dominis(ジョン・ドミニス)、Kamakou(カマコウ)、そして侍女2名が、わたくしたちと扉の間に控えておりました。

国王は最期が近づいているにもかかわらず、意識は明瞭であり、わたくしたちと同じく、王国の未来について深く思案されているご様子でした。

やがて国王は Mrs. Bishop に向かい、ご自身の死後は女王として国を統治するよう望まれました。
すると彼女は一瞬ためらい、「Princess Ruth を後継にお指名なさらないのは、どのようなご理由でしょうか」と静かに尋ねました。国王は、「妹には政務を成功裏に果たすだけの能力がない」と率直にお答えになりました。
しかし Mrs. Bishop は、「わたくしたち皆でお支えすれば、務めを果たすことはできるはずです」と申し上げました。この意見を聞いた国王は、次に Hon. Nahaolelua に向き直り、「誰を後継として選ぶのが適切と思うか」と尋ねられました。
すると彼は誠実ではあるものの不適切な返答をしてしまいました。

「陛下、ここにおられる首長のどなたも、ふさわしゅうございます。」

国王は再び考え込まれる様子を見せられましたが、その間にも死の影は静かに迫っておりました。
未来の統治について少し前まで思案されていた国王は、やがて意識を失われ、そのまま後継者を指名されることなく崩御されたのでございます。

王位の空席を埋める候補者として最有力と考えられていたのは、国王の従兄である Prince William Lunalilo(ウィリアム・ルナリロ王子)でございました。
血統に関しては、彼に不利となる点は何ひとつありませんでした。

母は Kekauluohi(ケカウルオヒ)で、Kamehameha the Great(カメハメハ大王)の姪であり、継娘でもあった方でございます。
また彼は人望が厚く、温厚で親しみやすい性格として知られておりました。

しかしながら、彼を選ぶことには重大な懸念もあり、憲法上も適切とは言い難い事情がありました。
というのも、この時すでに彼の生活習慣に問題があり、銀行家 Charles R. Bishop(チャールズ・ビショップ)の後見下に置かれていたため、自分の財産を自由に管理することができず、月々の小遣いとしてわずか25ドルだけを後見人から受け取っていたからでございます。

それでも彼が推されるに至ったのは、主として Oahu(オアフ島)島民の代表者たちの強い働きかけによるものでした。
しかしいったん推薦が公表されると、ハワイの人々はいつものように明るさと誠実さをもってこれを受け入れました。
我が民は、古くから自らが認める首長に対して、つねに忠実な臣民であったのでございます。

一方、彼の従兄であった Kamehameha V(カメハメハ5世)には、R. C. Wylie(ワイリー)、C. C. Harris(ハリス)、F. W. Hutchinson(ハッチンソン)、S. H. Phillips(フィリップス)といった有能な人物が顧問として仕えていました。
彼らはいずれも高い能力を持ちながら、いわゆる宣教師派に属さない人々でございました。

ところが Lunalilo(ルナリロ)が即位すると、この宣教師派は国王を意のままに動かそうと決意し、国王の弱点に自らの影響力を重ねる形で、ハワイ王国とその未来の行方を左右しようと動き始めました。

その結果として彼らは以下の閣僚を確保することに成功いたしました。

・Charles R. Bishop(チャールズ・ビショップ):外務
・E. O. Hall(ホール):内務
・R. Stirling(スターリング):財務
・A. F. Judd(ジャッド):司法長官

この4名のうち2名は、かつて「キリスト教の信仰を教えること」を目的としてハワイへやってきた宣教師家系の人々でございます。

新しい内閣の政策は、明確に「アメリカ的」でございました。
これに対し、従来の政策は「ハワイ的」と申すべきもので、独立した主権国家としての繁栄と発展を志すものでございました。
しかし新内閣は、露骨であるか巧妙に覆い隠されているかを問わず、ハワイ王国を United States(アメリカ合衆国)の従属領のような存在にしようとするものであったのでございます。

その突破口となったのが、当時も今も問題となっております Pearl River(パールリバー)を、外国船の避難港または修理港として提供するという提案でございました。
この提案は大きな騒ぎを引き起こし、生まれながらのハワイ人たちは猛烈に反対いたしました。
私たちにとって国を愛する心とは、まさに祖先が生まれ、暮らし、そして命を終えた「土地そのもの」への愛であり、その土地の一部に、どれほど敬意を抱いている旗であっても、外国の旗が当然の顔で掲げられることを、平静な心で見つめることはとてもできなかったのでございます。

Honolulu(ホノルル)には、今もなお存命で、自らを「ハワイをアメリカに併合させようとした計画の父」であると誇らしげに語る紳士がおります。
ゆえにここで記しても差し支えないことでございますが、1873年の Pearl Harbor(パールハーバー)計画は、まさにその人物 Dr. John S. McGrew(ジョン・マグリュー博士)に端を発したものであり、彼は当時、ハワイ王国の政府を消滅させ、諸島全体を United States に併合させる第一歩として、この案を公然と主張していたのでございます。

しかし、この動きが引き起こした混乱のさなか、国王(King Lunalilo)の健康は急速に悪化し始めました。
国王自身の明確な意思により、宣教師派が進めようとしていた自国との関係強化の計画は、「時期を改めるべき」として棚上げされることとなりました。そのため、国王には環境を変えることが望ましいと提案され、気候が良く高い山々を持つ Hawaii(ハワイ島)への旅が手配されました。

国王の侍医 Dr. Trousseau(トルソー博士)の助言により、向かう先は Kailua(カイルア)と決まり、王族一行は出発いたしました。
Dr. Trousseau に加え、国王の近侍である Charles H. Judd(ジャッド)も同行し、さらに Kanaʻina(カナイナ)、国王の父である方、Queen Emma(エマ王妃)、Princess Likelike(リケリケ王女)、Mrs. Pauahi Bishop(パウアヒ・ビショップ夫人)、Kapiolani(カピオラニ。のちに私の弟 Leleiohoku による縁組を通じて王妃となる方)、そして私の弟、ほか数名が同道いたしました。
また Hawaiian Band(ハワイアン・バンド)の楽師たちも同行し、国王の心を病からそらし、快方へ導こうと、あらゆる工夫が尽くされたのでございます。

私たちが滞在している間、Honolulu(ホノルル)からの使者たちが頻繁に訪れ、国王に対し「後継者を指名してほしい」と強く促したり、あるいは「この件を議論するために都へ戻るべきだ」と懇願したりいたしました。
しかし国王は、そうした提案に対して、少なくとも無関心であるように見え、時には明確に反対のご様子でございました。

実際、国王ははっきりと、「自分がこの王位を得たのは民の意思によるものであり、ならば自分の後継者も民が選ぶべきである」とおっしゃったのでございます。

これはもはや秘密でも何でもなく、むしろ歴史の事実と言うべきことでございますが、国王の後を継ぎたいと最も強く望んでいた人物は、Alexander Liholiho(アレクサンダー・リホリホ)Kamehameha IV(カメハメハ4世)の未亡人である Emma(エマ)でございました。

彼女は多数の側近たちとともに、私たちが滞在する間ずっと同行しておりましたが、そこに住んでいる利便を生かして、近隣へ小旅行に出かけることもございました。
その中で私が特に記憶しているのは、Hualalai(フアラライ)山へ向かった旅で、そこで彼女は有名な Ahuaumi(アフアウミ)神殿を訪れたことでございます。

この場所はかつて古代の神々への礼拝に捧げられており、壮大な石の建造物でございました。
過去の王のひとりによって築かれたもので、完成までにかかった期間は比較的短いものであったと言われておりますが、その一つひとつの石は、逞しい腕と力を持つ数多の人々が、いくつもの列をつくって手渡ししながら積み上げたものでございました。
こうして完成した巨大な建造物は Umi(ウミ)王により神々へ奉献され、当時は最も神聖な目的のために用いられていたのでございます。

この神殿は、その近くまで行くことができる者にとりましては、必ず訪れるべき名所のひとつでございました。
しかし残念なことに、その周辺には、神聖な史跡への敬意を持たない者たちがいたようでございます。
人々が大変な労苦をかけて積み上げた多くの石が取り壊され、その石で山羊小屋が造られてしまったと聞いております。

しかしながら、私たち一行がこのような観覧や行楽を楽しめたのは、ほんの短い間に過ぎませんでした。
国王のご病状が急速に悪化し、常に誰かが傍らで見守っていなければならなくなったためでございます。

やがて Queen Emma(クイーン・エマ)が看病の順番になった際、彼女ははっきりと言葉を尽くし、国王が亡くなったときには自分が政務を引き継ぐよう指名してほしいと強く願い出ました。
しかし国王のお気持ちは変わらず、後継者の選定は民の手に委ねるべきだというご意志をお持ちのままでございました。

私が国王の枕元に控え、生まれながらに選ばれた者として最後の時を見守っていた折にも、Queen Emma は説得をやめることなく、再び後継問題を持ち出し、王位継承者を指名することが民にとっていかに重要であるかを国王に訴え続けました。
このような申し出が、Hawaii(ハワイ)の人々の習俗に照らしてどれほど慎みを欠く行為であるかは、私たちの国の伝統を学んだ方であれば容易にお分かりいただけることでございます。

国王は彼女に何の返答もなさらず、ただ横たわったまま彼女から顔をそむけられました。

その後、国王を Honolulu(ホノルル)へお戻しするのが最善と判断され、国王ご自身も渋々ながら同意なさいました。
こうして私たちは、高位の首長たちとその従者に付き添われ、国王とともに都へ戻ったのでございます。

国王は意識を保っておられる間ずっと、「後継者の選定は民に委ねるべきである」と強く主張されており、大臣たちでさえそのご意志を変えることはできませんでした。
そして、法により自らが持つ指名権を行使するのではなく、民の投票によって継承を決めさせるおつもりのまま、国王はほとんど苦しむことなく静かに息を引き取られました。

その最期はあまりにも安らかでございましたため、実際にお亡くなりになる前から、傍らにいた者はすでにその瞬間が訪れたのではないかと感じたほどでございました。
王国の元帥は、国王がすでに崩御されたものと考え、宮殿に喪章を掛け始めました。長い黒布が外壁に垂らされたまさにその時、国王がまだご存命であることが判明したのでございます。

しかし、これらの喪の飾りを外すのは適切ではないと判断されました。国王の旅立ちはいつ訪れてもおかしくない状況であったためでございます。

そこで布を覆ったり隠したりする処置が取られ、そのまま最期の時を迎えるおよそ二日前から喪章は掛けられていたのでございます。

国王は Queen Emma(クイーン・エマ)を後継者として指名されませんでしたが、遺言書の中では彼女に対し大変寛大な配慮を示しておりました。
その遺言の中でも最も重要な項目の一つは、年老いた、また困窮する Hawaii(ハワイ)人のために Lunalilo Home(ルナリロ・ホーム)を設立するための基金でございました。

この施設は男女どちらの受け入れも行っており、男性と女性は別の棟に分かれて生活しております。管理は非常に適切で、入所者たちは穏やかで幸せに暮らしております。
中には、まるで若さと希望をまだ胸に抱いているかのように振る舞い、日々の交流のなかで心を寄せ合い、結婚というより深い絆を望む者たちもおります。

そのような希望を抱く者は、施設を退所することなく結婚を許されており、夫婦として人生の晩年を共に歩むための専用の住まいも設けられているのでございます。

お気軽にお問い合わせください。090-5934-8894

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